木造三宝荒神立像
荒ぶる神である荒神は、祟りをもたらす強い力を持った神であると同時に、家や村落といった共同体を守護する存在として、中世以降広く信仰された。火の神、竈の神、台所の神として屋内にまつられる場合も多い。
この荒神が、神仏習合の影響の中で仏教と結びつき、日本で誕生した尊格が三宝荒神である。三宝は、そもそも仏法僧を示す言葉であるが、これは荒神信仰が、神仏習合の中で仏教と結合し展開していったことを象徴している。
三宝荒神の信仰については、『仏説大荒神施与福徳円満陀羅尼経』(復刻 は、『増補 真言秘密諸経全集』大八木興文堂 一九三五ほか)を典拠とする ことが一般的である。この経典は、『大荒神経』とも略称され、日本で編纂さ れたと考えられている。服部法照氏の『日本撰述偽経について』(『仏教文化学 会紀要』創刊号 一九九二)は日本で編纂された「偽経」とされる経典につい て考察しているが、そこでは、この経典が広まったことが、荒神信仰の普及に 大きく貢献していると述べられている。
中世以降、神仏習合の影響を受けながら、日本で編纂された経典の中で述べられている仏像は少なくない。三宝荒神はその代表的な存在である。
中尊と光背、台座、厨子はいずれも一具であり、当初から八眷属を伴う八面八臂の忿怒荒神として造立されたと考えられる。彩色などは、当初の様相をよく留めていている。製作年代は江戸時代である。
(大阪密教美術保存会「正圓寺の仏像について」より抜粋)