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木造不動明王及二童子像

不動明王は密教では最も重要な諸尊のひとつとして位置付けられ、真言に侍する者の守護者として広く信仰される。東寺の講堂本尊を初め、平安前期にさかのぼる彫像をはじめとして、画像の遺品も数多い。その形式には、いくつかの種類があるが、十九観系と称される像容が一般的である。これは、『大日経』や『大日経疏』といった儀軌に見られる不動明王の特徴を十九にまとめた十九観に基づくもので、平安時代中期に天台僧安然の『不動明王立印儀軌修行次第胎蔵行法』や、菅原道真の孫淳祐の『不動明王道場観』などにより確立された像容とされる。肉付きが豊かな童子形、左に一弁髪、左の一目を閉じ右の一目を開く天地眼、右牙を上に出し左牙を外側に出す上歯牙下唇、右手に剣、左手に索を執り、迦楼羅炎を背負うなどの特徴を示す。造形化は飛鳥寺の玄朝によりなされたといわれ、平安時代後期以降の不動明王の一般的な形式となった。
正圓寺像は、不動堂の内陣中央にまつられる三尊像である。中尊の不動明王坐像は、面は正面を向く。頭頂に沙髻を戴く。巻髪は八髻を二段に配する。弁髪は肩に一条かかる。
中尊の不動明王と、制叱迦童子と矜羯羅童子にあたると考えられる二童子像は、三尊一具と考えられる。不動明王が執る剣の陰刻銘は、享和三年(一八〇三)に刀工中井助義が鋳造したことを示すものである。前段の銘文の内容からこの不動明王の造像と関連して、刀を鋳造したものと考えられる。従って、本像の造像も享和三年頃と推定される。
前年の享和二年(一八〇二)には、大師堂に安置される弘法大師坐像と、同じ不動堂に安置される中興開山である常如の坐像が造立されている。また、文化二年(一八〇五)頃には、毘沙門天と深沙大将像が造立されている。本像もそれらと時期を同じくする一九世紀初頭に、正圓寺の寺観が整備される中で、発願、造立された仏像と考えられる。

(大阪密教美術保存会「正圓寺の仏像について」より抜粋)