木造大随求菩薩及毘沙門・吉祥天像
大随求菩薩は、胎蔵界曼荼羅の観音院に描かれており、一面二目八臂の菩薩形を示す。日本には円仁(七九四~八六四)が請来した本尊・経典等を納めた比叡山の収蔵庫である前唐院の目録の中に「大随求菩薩曼荼羅」が見られることから、平安時代前期には伝来していた。『大随求陀羅尼経』などを儀軌として修される随求法の本尊であり、平安時代後期には、滅罪や息災を目的として修法された。持物は、左主手には金輪を載せた蓮華、左脇手に梵筺、宝幡、索、右主手には五鈷杵、右脇手には三鈷戟、剣、斧を執る。
正圓寺像は、箱型の厨子に納められる三尊像である。内部には漆箔が施される。中尊の大随求菩薩は、一面二目八臂の彫眼像である。髪は群青で彩色し、金銅製の宝冠を戴く。白豪相は白土であらわし、口唇には朱が入る。肉身部は褐色地で彩色し、衣部には衣部には截金で文様を施す。右の主手は胸前で屈臂して金剛杵を執り、左の主手は腹前で屈臂して輪宝を執る。脇手は、右の上手が戟、中手が鍵、下手が剣を執る。左は、上手と中手の持物が欠失し、下手が梵筺を執っている。蓮座上に結跏趺坐する。
蓮座は仰蓮、敷茄子、蕊、受座、華盤、反花、円框からなり、漆箔を施す。仰蓮には、各蓮弁に宝珠をあらわす。光背は赤く彩色する大円相である。
眷属として、中尊の左、向かって右側に毘沙門天立像を、中尊の右、向かって左側に吉祥天立像を配している。彫眼像であり、肉身は褐色地で彩色し、衣部には漆箔を施す。毘沙門天は右手を腰にあて、左手を胸前で掲げるが、手首先を欠失する。岩座上の邪鬼を踏みしめて立つ。吉祥天は、右手は垂下し、掌を正面に向けて五指を伸ばし、左手は宝珠を掲げる。台座は青く彩色する方框と岩座である。
銘記は確認できない。彫技は前項の普賢延命菩薩と通じるものがあり、あるいは関連する工房の作品の可能性も考えられる。大随求菩薩の彫像として貴重な作例であり、毘沙門天と吉祥天の脇侍を伴う点もめずらしい。製作年代は江戸時代である。
(大阪密教美術保存会「正圓寺の仏像について」より抜粋)