木造太元帥明王
太元帥明王は、『阿咤薄倶元帥大将上仏陀羅尼経修行儀軌』による、調伏などを目的とした大元帥法という修法の本尊とされる明王である。インドの鬼神であるアータヴァッカが起源とされている。
日本への請来は、空海の弟子である常暁(?~八六七)によるとされる。平安時代後期、一二世紀に成立したとされる図像集『図像抄』には「太元明王」として二種の像容が描かれている。ひとつは三目の主面の左右に三目の脇面を配し、主面の頭上に二目の小さな面を戴く、八臂の坐像である。主手は胸前で合掌し、脇手の左右各三手はそれぞれ剣、宝棒、金剛杵、索、戟、輪宝の持物を執る。二匹の邪鬼上に結跏趺坐し、背景には眷属として雲上に坐す天部が描かれる。光背は火焔を伴った円相の頭光である。もうひとつは、全身を覆う火焔光を負い、二匹の邪鬼上に右足を踏み上げて立つ八臂像である。持物は、順番は異なるが、坐像と共通する。面は主面とその左右の脇面は三目であり、主面の上にさらに三面を戴く。この三面はいずれも二目である。両手両足には蛇が巻き付き、両膝には象頭をあらわす。眷属として、仁王形の二躯と菩薩形の一躯、さらに獣身の二匹を伴っている。
この正圓寺像は、箱型の観音開き、黒漆塗の厨子に納められている。
列弁帯と紐からなる天冠台を彫出する。地髪の毛束には毛筋彫りを施す。頭上には四本足、三本爪の龍を戴く。主面は緑で彩色し、三目で閉口する。その左右と背後に脇面をあらわす。右面は白、左面は赤、背後の面は青で彩色し、それぞれ三目で開口し歯と牙を見せる。天冠台上には八面を戴く。いずれも二目で開口する。面の彩色は、正面から時計回りに述べると、それぞれ金、赤、肌色、白、白、緑、白である。主面、脇面三面、頭上面八面は、いずれも焔髪を呈し、彫眼像である。大袖の大衣と裙の上から着甲し、その上から天衣と腰紐を着ける。両腕には赤い蛇が巻き付き、両膝には白い象頭をあらわす。主手は胸前で合掌し、脇手の持物は、右は上から剣、宝棒、五鈷杵、左は上から輪宝、戟、索である。沓を着け、右足を踏み上げて、体を大きく左に傾けて、二匹の邪鬼上に立つ。肉身は緑で彩色する。右足を両手で受ける邪鬼は、閉口して牙をのぞかせる。肉身を赤く彩色し、明王のほうを向いて膝を立てて尻を地に付く。左足を胸で受ける邪鬼は、開口して、左体側を下にして横たわり、全身を黒く彩色する。邪鬼の下には岩座をあらわす。
一二面八臂の単身像である。多臂で右足を踏み挙げる複雑な形状だが、破綻なく造型している。脇面や頭上面の表情も、細部まで神経が行き届いており、
作者の優れた技量を如実に示している。厨子があまり開閉されていなかったためか、彩色が非常によく残っている。江戸中期の記銘を有する京善寺像と比較すると、精緻であり、各面の表情には写実性もうかがえる。製作年代は江戸時代と考えられる。
(大阪密教美術保存会「正圓寺の仏像について」より抜粋)