木造釈迦十六善神像
正圓寺は「阿倍野の聖天さん」「天下茶屋の聖天さん」の通称で知られているが、『東成群誌』は釈迦如来を本尊とすると記す。釈迦如来像は和合殿と称される釈迦堂の中尊であり、彫像による釈迦十六善神像としてまつられている。
釈迦十六善神は、大般若経の転読の際に用いられる本尊である。大般若経およびその信者を護持することから、般若守護十六善神とも称される。実作例は画像が一般的であり、釈迦如来を描いた画像としては涅槃図ととも最も広く受け入れられた図様である。『中右記』の記述から、一二世紀前半には既に大般若経読誦の本尊として用いられていたことが知られている。
彫像で釈迦十六善神をあらわした実作例は非常にめずらしい。わずかに、比叡山延暦寺の西塔釈迦堂の事例が知られる程度である。比叡山像は、重要文化財で、鎌倉時代製作とされる清凉寺式の釈迦如来立像の左右に、文殊菩薩、普賢菩薩、十六善神、玄奘三蔵、深沙大将を配し、さらにその外周部の手前に持国天と増長天の二天、背面に梵天と帝釈天を配している。中尊となる釈迦如来立像以外は未指定で、製作年代は釈迦像より下る。
正圓寺の釈迦十六善神像は、文殊菩薩、普賢菩薩、僧形の常啼菩薩、天部形の法涌菩薩は伴わないが、大般若会の本尊として用いられる釈迦十六善神の画像を、三次元であらわした彫像群である。中尊である釈迦如来坐像、十六善神、深沙大将、玄奘三蔵は、いずれも彫技に通じるものがある。構造も、彫眼像の頭部を一木で彫出し体部に接合する点など、共通する部分が多く、全体として一具で造像されたと考えられる。銘記については、十六善神の足ホゾと台座に符号の墨書が見られるのみで、造立銘は確認できないが、製作年代は江戸時代である。彫像による釈迦十六善神の実作例として希少であるとともに、十六善神の像容を、画像で一般的な一面二臂の着甲した神将形ではなく、『般若守護十六善神形体』の示す形状にほぼ忠実に従って造像している点が、注目すべき特色となっている。
正圓寺には、この他にも、二幅の釈迦十六善神画像が伝来し、大般若会が催されるなど、大般若経への信仰が大きな柱のひとつとなっている。大般若会の本尊を、実作例の希少な三次元の彫像で表現したことは、正圓寺における大般若経に対する信仰の篤さを物語っている。
(大阪密教美術保存会「正圓寺の仏像について」より抜粋)